徒然草 第116段

吉田兼好による徒然草の一部を引用しておく。

寺院の号、さらぬ万の物にも、名を付くる事、昔の人は、少しも求めず、たゞ、ありのまゝに、やすく付けけるなり。この比は、深く案じ、才覚をあらはさんとしたるやうに聞ゆる、いとむつかし。人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。  何事も、珍しき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ。

だいたいこんな意味かと思う。

お寺の名前もそうだし他のいろんなのもさ、昔って変に凝ったりしないで普通につけてたじゃん。最近じゃあ妙にひねりまくって、ドヤ顔で名付けてるっぽいけど、なんかおかしくね。人の名前でも見たこともない字使っちゃったりとか、意味ねーし。まあ何にしてもさ、やっぱこれくらいやらねーととか、俺らって個性的だぜとか、そういう奴ほど頭わりーなーって感じだよね。

700年近く前に指摘されているとはね。

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徒然草 第116段 への1件のフィードバック

  1. Crissy のコメント:

    Eu acho que a gasolina está sendo pensada em função dos pneus. Carro leve, pneus macios. Carro pesado, pneus duros. Vamos ver qual estratégia será a melhor, macios no início ou macios no final.Não podemos esquecer que os macios funcionaram melhor com a pista mais emadarbchroa. Teoricamente, macios no final é a melhor opção.

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