いわゆる「報・連・相」なんて言葉があったりする。年寄り臭いので自分はあまり使わないんだけど。
この報連相という言葉、Wikipediaによると初出が1982年だそうで、以降30年以上経っても未だに使われているというわけだ。言葉としてよくできていることもあるが、報告・連絡・相談が重要だということが普遍的に認められているということだろう。
この報連相を支えるものは「伝えること」であり「理解してもらう」ということであるのは言うまでもない。
自分はできているだろうか。
貴方はできているだろうか。
真面目な会議で報告と称してダラダラと喋るものの、誰も何も理解ができない。周りの出席者は首をかしげて何を言っているのかを聞き取ろうとし、あるいは諦めて上の空状態になっている。一通り語り終わった時点で「ところで何に関しての話だったんですか?」と改めて質問することでやっとテーマが理解でき、「それは決定事項ですか? それともあなたの妄想ですか?」と確認して初めて皆が納得するという次第。そうかと思うと、資料をとても読み取れないスピードでプロジェクタに表示しつつ、固有名詞をでたらめに使うことにより矛盾を伝えて聞き手を混乱に陥れる。このレベルになると「伝えることができない」をはるかに通り越している。そう、「言いたいことを言う」というのは害悪になることがよくことなのだ。
こういう理解不能な「報告」を強烈にやってくれるのが職場に2人いるんだけど、またこの2人が重要会議の内容を報告する担当になっているというあってはならない巡り合わせ。この職場大丈夫かとマジで心配しているんだが。愚痴ですまん。この2人を筆頭に若干予備軍もいたりはするが多数派ではない。強い印象が残るけれど人数分布はそれほどでもないのかな。偶然そういう馬鹿が周りに集まった、というだけのことなのかな。そうであれば俺的には嫌なんだけど、世の中的にはまだマシなんだけど。でもやっぱ最近になって遭遇する可能性が高くなっているとしか思えないんで、何でやねんとずっと考えてきていた。
そう、TwitterやFacebookが流行ってきて、簡単に広範囲に自己表現できる場が手に入るからなんです。これにより、内容よりも即時性を重視し、相手に伝わるかどうかよりも自分が何を言いたいかを優先するようになってきたんです。これらのコミュニケーションツールが一方通行を土台としていることもあり、多くの読み手の中で共感してくれる人、つまり理解してくれる人が反応するという仕掛けになっていることもあります。読み手とか聞き手の理解力に多くをゆだねるという考え方があるということです。なんちゃって。多少はあるかもしれないけど、そんなことが理由だとは思っちゃいません。
少なくとも俺が知っている困ったちゃん達は、誰かに教わったことも、自分でちゃんと考えたことも無いんだろう。教えてあげようと思ったんだけど、まあ立場みたいなこともあるし、ご本人のアレがアレなので。代わりにここに書いておこう。
ます、伝えるということの大切さを認めることから始まる。自分自身が物事を進めるために情報が必要だという事実を意識しよう。そして単純に相手もそうなのだということは考えるまでもないはずだ。この際、義務だから、これは自分の仕事だから、ということでも良いと言えば良い。伝えるということで対価を得ることができるのなら、そこには重要性があるという意味なのだから。
正しく伝えるための基本中の基本は5W1H。「Who(誰が) What(何を) When(いつ) Where(どこで) Why(なぜ)したのか」。これなんか、もう200年以上も前からあるらしい。会社ではお金の話を忘れてはならないからHow much(いくらで)を追加して5H2Hだ、と昔の上司に教わった。WikipediaにはWhom(誰に)を追加して6W2Hだと書いてある。内容に応じて何かを省略してしまっても影響がない場合はあるかもしれないが、最初から例外を認めるのではなくちゃんとメモを取り正確に伝えるという訓練を癖になるまで繰り返すべきだ。
正確に伝えるということはミスリードをしないということでもある。正しい表現を取ったとしても誤解されることだってあるだろう。相手がどう理解をしたかに注意を払わなければならない。この時にも相手が抱えている物事が影響を及ぼしてくるが、その背景全てを知っておく必要は無い。どう受け取り、どう解釈したかについて、直接的あるいは間接的に問い掛ければ良いことなのだ。
実は、いつ誰にその情報を提供すべきかであるが、これがとても難しい。適切に情報提供をするのであれば、相手が何をやっていて何が関係するかを知らなければならないからだ。諸般事情を考慮した上での判断を的確にやってのけるのは至難の業だ。不要な情報をむやみにばら撒く必要は無いし、沈黙は金なりという考え方もあるが、正確に伝えることができるのであれば害となることは少ないという考え方もできる。相手をちゃんと見るということはどちらにせよ必要だ。
詰まる所、伝えるということの価値を認め、正確性を高める自己訓練を重ね、相手と向き合うことを意識するということだ。
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固有名詞を間違えたりでたらめに使うというのは、ほぼ確実に嘘をつくことになるので決してやってはならない。逆に、固有名詞を軽んじる人は正確に伝えることに価値を感じない、更には嘘をつくことを気にしない人だと考えて良い。